歴史の勉強
一連の正成(まさしげ)話しが興味深かったのか、オモロイとの声をあちこちから頂いたり
また、自分で自分の魂の記憶にアクセスしたいとする友人たちもチラホラ。

学校の歴史の授業が
アホがつくほど面白くなかったや〜ん。
いや、私の場合な。
なんやねん年号覚えるってΣ( ̄。 ̄ノ)ノ
って、
いっつも思ってたしさ〜
ほんなら
今になって、大化改新も鎌倉幕府も
年号の違いやら
聖徳太子も居ませんでしたて

ちゃうんかえっっ!!! ほな、あの授業時間なんやってんっっ!!って事やしさぁー
それが受験とかテストに使われてきた日本の学校教育ってなんやねんっっっっ!
って、
ほんまに真剣にムカつくわけよ。

まーまー個人的な私のムカつきは置いておいて、、、
自分に纏わる歴史を知るって事は
もちろんモチベーションも上がれば
なにより、子供の頃感じてたであろう
ワクワクやらドキドキがあって楽しいのよ。

自分の事となれば
真剣に調べたり、勉強もするしね〜。
勝手に、その時代の歴史に詳しくもなるって話しで。

何より、
歴史を知るってことは、
その時代から今までに思いを馳せて
背景を知る行為なわけで
そこに携わった、あらゆる人や物事に
思いを寄せる感性を磨く事になるのが
良いとか思うわけです。

例えば
先だって25日の慰霊の小旅で訪れた下赤坂城跡。
今は美しい棚田が広がる、棚田100選てきな景勝地らしいっす。

写真を撮りにくるオバちゃん達もいてましたわ。

しかーーーーしっっっ!
鎌倉時代、死んでいるのよそこでいっぱい。
戦があったのよ!戦が。
写真の前にやる事あるやろーーーーー!

っと、慰霊目的の楠木兄弟は
そう思うわけですよ。

千早城跡なんて、今やパワースポットやで。
「絶対に落ちないパワースポット」やて。
楠木正成の篭城によって鎌倉幕府が云々と、いかにパワースポットであるかを
切々とうたっているが

ちゃうからっっっっ!
戦だから!いーくーさー!!!
わかる?!?!?!
死んでるのよいっぱい。

別に戦いたくもなかった農民もおったやろうし、その働き手の父ちゃんがおらんようになったご家族はどーーーーなのよっっっ!!!
ずいぶんな苦労をしたんじゃないのかしらっっっっっ?!?!

城が焼き払われた後に
また、豊かな緑が茂ってくる自然の営みの凄さとかを感じるわけですよ。

もっと遡れば
縄文期や弥生期、それ以前にも
この大地には、あらゆる事があったのよっっっ。

そんな歴史の積み重なりのうえに今、
自分達は居るのだ。

この命がココに生かされている事は
本当に奇跡なのであって、決して当たり前ではない。

歴史を知るという事は
誰かに自慢するものではなく
それを武器にお金を引き出す手段でもなく
もちろん、テストの得点をはずませるものではない。

生きて今ココに居る「いのち」に
感謝出来る心を育むのが歴史の勉強なのだと感じる。

今は
あらゆる物が当たり前のようにあって
しかも有り余って捨てるほど腐るほどある世の中で
すっかり、目の前にあるもの
目の前に居る人や出会いの背景を感じられず時間だけがどんどん流れて歳食って
そうやって出来上がってくる人々の
感じるチカラの弱さに辟易してしまう事がある。

躾(しつけ)とは
いったい何をもって躾と呼ぶのだろうか?

ミルフィーユのように重なっていて
また、断層のようにズレてもいる次元という歴史。

ヒントは
必ずあなたの周りに山のように散りばめられている。

さ、
自分自身の歴史時空旅へ出かけませんか?
| ena | キラキラ | 11:52 | comments(0) | - | -
レモンと梅狩りなんですけど・・・
久しぶりに、ふつーのドライブをして遊ぶ1日・・・なはずだったのに
何故だかお呼びがかかる今日この頃。

レモンを収穫させて頂いてから
本来行く先の南部の梅農家さんに行く前に
「足のお社」って所の梅の木が
いくらか実がついているので
持ってってくれればいいし〜
なんていう話しをもらい
少し山を登る事になった。

ふと見れば
古そうなお地蔵さんや石碑。
室町時代と書いてある。
「あぁ・・・正成の生きていた頃のかぁ。
しかし、ど偉い古いモノがあるわねぇ〜と
レモンのお礼も兼ねて、
光の働きが起こるように祈ってみた。

「よし。」と
梅の木に向かおうと数歩踏み出して
手袋が片方ない事に気付く。
「ん?」振り返ると、さっきの場所にポツリ。
「ハイハイハイハイ。
分かりましたよ。」
「行きます、行きますよ。足のお社」

御由緒には
山伏の足の強さを村人が祀っただぁ〜とかなんとか。

「山伏ねぇ・・・って事は、昨日行った
間者(かんじゃ)達の里での事とのリンクか。。。」

祈ってみる。

速攻ザザーーーっと風が吹くこの感じは
龍か?

ま、Okじゃないっすかねぇ〜と
目的の梅農家さんを目指す為に、とりあえず御手洗をお借りしたら
神輿が奉納されている倉庫が開いている。
なにやら街の人々が
写真を撮ったり、修理?のような事をしているようだった。

御手洗の前には「熊野古道」とある。

「そうか、そうか。このあたりは熊野古道が入ってくるんやったっけ。」

しかし
まるで神輿を見せてくれたようなこの感じ、なんじゃらほい?


一緒だった友人が
「ココは何やったん?」と聞く。
「ん〜・・・龍かなぁ?」と言いながら車に向かった。
その後 無事、梅ジュース用の梅を狩り
今日の予定は完了っっっ( ̄^ ̄)ゞ
しかし、
寝る前にやや瞑想。

「今日の足のお社は、いったい何だったかしら〜?
龍神村も近いし、分からんがやってみよう。」と
瞑想しながら、あらためてお社に光が入るように祈る。

寝たか?寝ないか?でハッとした。
なんかちっちゃいのがいっぱい・・・
あ、カラスか。
ん?
あーーーー大きな烏が居てるねぇ〜
あ!その下に龍か。

なるほどぉ・・・
八咫烏か。


正成が使っていたか何なのか
間違いなく縁ある働き。

八咫烏(山伏)を使って龍を封じた事が分かった。

で、話しはココで終わらない。

最近、同行の友人が縁ある「岸城神社」
はたと八咫烏との関係がないかリサーチ。
ヒット!
纏に八咫烏を使っている町がある。
しかも町内の数が「22」
足のお社で、神輿を見せられたのも
ココに繋がる伏線だったか。

祭りと八咫烏、山伏、忍者
このあたりが関わっているのだろう。
たぶん、アーク(宝箱)を運んだのが
間者の人々だったと感じる。

またしても
統合させる過去が広がった( ̄◇ ̄;)
やっぱり昨日は、ここに手が入るお祝いだったのか。
しかしもう、ココまで来たらオモロイ。
小松左京ならぬ
榎木右京にしたいぐらいのSFっぷりである。

世界って70億ぐらいなの?人口って。
これさー
こんなSFが
70億も用意されているの?と思ったら
凄ない?!?!?!
みんな
どんな物語持ってるんか聞きたわ。

過去の史料とか残ってなくっても
こーーやって、辿れば分かるんやねぇ〜

へーーーーーーーーーー
びっくりくりくりくりっくりーっっっっっだわ。( ̄▽ ̄)

どーーーりで
熊野街道で仕事してるはずよね〜ワタクシ。
もぉ〜・・・降参っっっっ!!!
| ena | 旅事 | 22:25 | comments(0) | - | -
8birth
日曜日だと言うのに
予約が夕方って・・・
新聞やら買い出しやら、やらなアカン事いっぱいやから、まーーええけど
28日の日曜日に時間あるてぇ(ー ー;)

28日は私の生まれた日で
しかも、その28日は日曜日だった事からしてぇ・・・
この流れ、
やっぱり行かなアカンねんな(T ^ T) 信貴山。
はいはい、行きますよ。
行かせて頂きますよ。

25日に行き残した
杜本神社と嶽山もあるしね〜
行けるうちに行っときますか。。。
信貴山は
「たかこーーーーーーーーー!!」と
ブログの題名にもなった
たかちゃん事、毘沙門天(多聞天)の御霊持ちの貴ちゃんと縁ある山。

私は
正成当時、ここで生まれたとの伝承が残っていて、正成は幼名を「多聞丸」と呼ばれていたらしい。

少し解説しよう!
多聞天は、方向を司る4神のうちの1神で
北を護っている。
4神で例える時「多聞天」となり
単品で例える時「毘沙門天」となるので、ある時は多聞、またある時は毘沙門っちゅうルパンのような働きなのだ。
戦いの神的な扱いなので
歴代のオールスター
武田信玄や伊達政宗などなどの崇敬を集めてきた神でいて、山である。
しかも4神のリーダーが多聞天で
北って事になれば
北斗七星って事になるのではないだろうか?
毘沙門貴子に
「もう〜信貴山行っとくわぁ。
はよ来いアピールが凄いからぁ。
28日は、不動明王との縁日でもあるし〜」ってな具合で連絡したら
「うそん?enamiん行くん?
私も行く。」
と。。。

貴ちゃんも、びっしり詰まっている予定の中で
この週末だけ空いてたらしく
応神天皇、信貴山、毘沙門天諸々が分かった24日以降フラフラだったらしく
歩いていけるエリアの
応神天皇陵で、やや回復したものの
早く信貴山に行きたいと思っていたらしい。

って事で、
貴ちゃんをピックアップして信貴山へ。

25日の慰霊の小旅とは違って
今日はどこかお祝いムードといいましょうか?
なんだか見えない世界はワクワクムード漂う様子。

ピックアップ前に、羽曳野の杜本神社(もりもと)にも行っておいた。
正成の首が観心寺に運ばれるまで
隠されていた首塚があるって事だったが
杜本(もりもと)って、
東京で勤めていた美容室の名前が
モリモトだったのよねぇ・・・

ま〜〜〜寂れた神社だったが
こんもりした山で
何かあったのは確かである。

で、
貴ちゃんと合流〜

信貴山なんて、何年降りかしら???
子供の頃は、毎年 山菜を採りに行っていた山である。
急遽、信貴山麓の金山彦神社にも感覚で立ち寄る。
金山衆は、山を知り尽くしていた人々。
今回、信貴山の後に統合していく 嶽山の里に関係する。

たぶん、このお社には
龍の働きがあったと思う。
さ、先を急ごう。
信貴山・朝護孫子寺。 看板から、お参りする箇所を選ぶ。
11面観音
不動明王
虚空蔵菩薩
で、本堂 毘沙門天へ。

お参りスタートと共に鐘が鳴る。

本堂到着早々にも太鼓が鳴り響き
祀りの唄いが始まった。

またしても何故か涙が流れる。
懐かしいという感覚は、正成が幼少期に
この唄いを聞きながら育ってきたような感じがした。

こんな景色が広がる場所である。



次ーーーーーーっと
法光寺へ車を走らせる途中の会話は
「最近、5なのよ。5は統合ね。
で、8なのよ。
第8太陽系やしな〜。とにかく、5からの8なのよ!」とかぁ
「昨日の応神天皇陵で黒い蝶が5匹飛んで来たから、OKやと思ってん〜」 「8分先のパラレルワールド」とか
そんな風な私達の中では成立する感じで「5」と「8」で話しが進行していたのだが
急に貴ちゃんが、「あ!ここ美味しいねん!」
と、とあるレストランを指差すので 「ほなご飯食べて行こか!」と
車を停車させる時に看板で店の名前を見てびっくり!!

「エイトバース」( ̄◇ ̄;)

貴ちゃんも、友達に連れられてきたのが初めてで、今日の2回目
偶然通りかかって指差ししたものの
名前は知らなかったらしい。 8が生まれる?
8の誕生日?
何っ?何なのっっっ?!

めっちゃ祝膳
どうやら、信貴山ボランティアは成功したらしい。




しかも何故か甲冑・・・



しかも椅子がハラコ。
次に行く所について 八咫烏のお尻に着けていた動物の毛皮の話しをしていたのでびっくり。
やはり、
随分と待たれてもいるらしい。

祝御膳を 美味しく、ありがたく頂き
いよいよ
楠木家や服部家、金山衆や八咫烏と呼ばれるような 間者、忍者と言われる人々が集って、トレーニングや情報交換をしていたと思われる龍泉の村へ。 嶽山中腹の法光寺へ向かうも
思っていた感じとはやや違いが・・・
「んーーーーー。なんか時間あるから
聖徳太子のお墓に行っとこかー?」と
車に乗り込もうとしたら
咳が止まらないっっっっっ。

こりゃどーーーーも
行き先が違うらしい。

改めて「龍泉城跡」を検索。
が、
ナビが上手く反応しない。
で、グーグル先生で貴ちゃんが発見
「龍泉寺」
なんと住所がヤバい。
大阪府河南町龍泉888

おいおい〜( ̄◇ ̄;)「888」て。
間違いなくココでんがな。

レッツらゴー



牛頭山・龍泉寺
ワタクシ丑年。

これ「牛頭」ごず。じゃなくて
「うず」って読むらしいわ。ココでは。
咸古神社ってのが併設されている。
遺跡が出るほど、寺と神社のある場所は古い。飛鳥か?奈良時代?
ココにも龍の働きがあったようだった。

それに・・・奥の咸古神社。
ココは千と千尋の神隠し状態。
時空が違うと貴ちゃんがしきりに言っていたが、やや不思議体験。
私達が手を合わせていた後ろから
人の気配。

貴ちゃんは砂利を踏みしめる音を
私は、椣(しで)をかき分ける音を聞いた。

もちろん誰もいない。

重なった次元の1枚が現れたようだったので、もしかしたら
そこを歩いてきたのは正成だったのかもしれない。

兎にも角にも、すっきり出来て
市内へ帰る。
上町に戻ったら


1箇所だけ空いていた。
もちろん「5」が。

そして何より
うちの車のナンバープレートにびっくり!
なんで気がつかなかったのか
自分が怖いΣ( ̄。 ̄ノ)ノ

なにわ 580
50-85 やて(笑) ジョーダンが過ぎるだろーーよ。
まったくぅ( ̄◇ ̄;)

が、
どうもジョーダンでは無さそうである。
今日の終わりに
見たこともない大きさの鳳凰が出ていた。
大きすぎて、翼の半分がフレームに入らないっっっっっ。



龍が清め鳳凰がエネルギーを増幅させる。
そんな風に光の講座で話してくれた事が思い出される。

大阪から、光が広がることを祈って・・・
| ena | キラキラ | 16:06 | comments(0) | - | -
たかこーーーーーっっっっ!!
もはや
美容室のブログとは思えん毎日で
客観的に笑える。

ヒプノセラピーを受けてから
縁ある人に話してきたが
中でも、この人には分かってもらわないとダメなのよっっっっっ!!
と思う相手がいて
その内の1人が「たかちゃん」なのだ。

たかちゃんの周りのお友達も居てるけど、やっぱり たかちゃんなのよねぇ・・・と
去年、10月?だっただろうか、
プレアデスやアークトゥルス、シリウス等々の星の働きやなんやと
新しい情報が更新される毎に
ここは、、、というタイミングで
たかちゃんには話してきていた。

楠木の慰霊の小旅の前日にも
南北朝時代が今この時代に及ぼしている影響などなどについて
たかちゃんに話している時だった。

た:「あのぉ〜enamiん。今 黒ずくめのオッサンが現れたのよ。
イメージで出てきた。」

ワテ:「あら。そーーなの?誰っっっ?!」
た:「んーーーーーーーーー
特徴的な帽子や格好なのよ。
そして、歴史が苦手な私でも知ってる名前のような気がするのよ。」
と。
(たかちゃんは羽曳野に住んでいるので、絶対何か、何かなのよっっっ!と
常々話していて
古墳に縁ある事は分かっていた。)

ワテ:「誰かしらぁ???
今のタイミングなら南北朝に関わる人じゃなーい?」
と、随分と名前を出したが
結局分からず
平安から鎌倉、室町のオールスターがほぼ出揃ったら
た:「あら。
オッサン今度は隠れたわ。」と言う。

「ふぅーーーーん・・・そうなんか。
でも、たかちゃん。やっぱり信貴山じゃないん?」と私。

「うん。信貴山。なんか今スッキリしてきた。」
と、たかちゃん。

ワテ:「いやいや、だからさぁーーーーー
最初っから信貴山ちゃうん?って言うてたし〜。
だって、たかちゃんの「たか」って「貴」やん。 ・・・っていうか貴ちゃん!
オールスターが信仰した山が信貴山なのよっっっ!
オールスターより
もっと前の時代 って事は、あなたっっ!
大元なんじゃないの?!?!
信貴山を封じたんじゃないのかしらっっっっっっ!!!!」

た:「やだ。なにそのシックリくる感じ。
それだわ。。。」

ワテ:「で、誰?」
って事で、これは私と貴ちゃんのインスピレーションによるものではあるが
応神天皇は関わっている。

応神天皇陵も、今回 貴ちゃんと会って速攻検索をかけていたキーワードだった。灯台下暗しっっっっ!
仁徳の父ちゃん、15代天皇である。

「15」の数字も引っかかる。

それに
楠木正成は、幼名を多聞丸と言うが
信貴山の多聞天・毘沙門天と縁を結んで生まれてきた的な事で
そんな名前になっているわけですが
戦いの神って事になっている。
11面観音とも関係していると思うが
こんなもん完全にアークトゥルスやからね。
っていうか
シリウスとアークトゥルスが入れ替わるポイントのような・・・ まーまー
そんなオタクな情報は置いといて
多く聞くと書いて多聞天。
貴ちゃんの仕事は傾聴。
まさに、耳を傾けてたくさん聴く仕事をしている。
しかも
貴ちゃんの高校は
校章が菊水の樟蔭高等学校だという。

これ、
大分にいる友人が、自分の学校がそうだったとメールで教えてくれたのですが
小坂にある樟蔭学校は、楠木家の紋章が校章なんやて。

女子校やから
正成より、嫁の久子の方に寄り添う方針だったらしい。
菊水の水の流れは、女子高だけに楠木家とは流れを逆にしていると、楠妣庵の方が教えてくれた。

貴ちゃん恐るべしっっ。
正成とも、羽曳野の応神天皇とも
縁があって、それは信貴山に向かっている。

「貴ちゃん信じる山」で「信貴山」
ウケるーーーーー( ̄▽ ̄)

山を封じるという行為は
土地を封じて人を封じる闇の働きの最初の最初。

妖精を封じ、木の精霊を封じ、龍を封じる。

何のために?
闇が魂を磨く。

しかし、もう光の働きに宇宙も地球も移行していく今
地球から闇の働きが撤退する時であって
光が吹き上がる地球にシフトをチェンジする時なのだ。
光へシフトチェンジさせる時
光を封じた本人が、闇を統合させていく。

信貴山を開くのは
信貴山を封じた、たかちゃん自身の統合が必要になる。

頑張るのよっっっ!

もちろん、縁ある私も行くけど〜たかちゃん大事。


追記:
正季(まさすえ)であるところのNさんが
朝、メールをくれた。
福井県の実家の住所が手寄なんやって。

Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

寄手塚のクロス・・・
シンクロナイズドスイミングなら
完っ全にド金メダル級の楠木シンクロに
呆れる。。。

面白いねぇーーーー
見えない世界と三次元のシンクロ。
また見つかったら報告する事にしよう
( ̄^ ̄)ゞ

こうやって
皆んな過去自分は何者であったのか?
また、何をしてきたのか??のヒントを
散らかして生まれてきている。
とっかかりや、見つけ方のコツが分からない内は難しいが
ひとたび分かってしまえば、数珠繋ぎのように出てくる。

興味が沸けば
是非やってみて欲しい。
自分で自分の謎を紐解くSFミステリーの旅を。。。
| ena | 分類しにくい | 22:00 | comments(0) | - | -
慰霊の小旅へ
朝、7時出発。
計算なしで「7」から始まった。

前世楠木兄弟(インスピレーションでは双子だった)揃って、2人の祥月命日の5月25日の今日、慰霊の小旅〜
河内地方へと出かけてきた。

きのうからの雨が続き
旅の始まり滝谷不動明王寺に到着した時はザザ降り。

滝谷不動駅は、2人ともが契約している有機食品等々を扱うオルターの最寄り駅。
嶽山の中腹にあって、空海が開いて
空海本人が彫ったといわれのある不動尊がまつられている。
不動明王の縁日は「28」
ワタクシの誕生日は「10月28日」

しかも、
平成29年度酉年、明日26日〜28日(縁日)の間
護摩木が焚かれ秘仏・不動尊がご開帳されるとある。

正季であるところのNさんは
昭和29年生まれなので
平成29年にも、以前から 何かあるんだろうな。。。と注目していたと
話してくれた。

なるほど。
確かに、何かあり過ぎるほどの年になった。
本堂右手の
あれは、矜羯羅童子(こんがらどうじ)だろうか?
制多迦童子(せいたかどうじ)だろうか?
手を合わせてすぐ
「待っていた。よく来たね。」と言ったような温かさが伝わってきて
涙が出た。
今日の事は、十分わかっていたようで
正成を、とても愛おしく思ってくれていたようだ。

ここは、
正成が戦に行く際に、随分と願をかけてお世話になった所らしい。
空海が手掛けたこのお寺は
当然、真言宗である。

後醍醐天皇を守護したのであれば
日蓮宗なはずであるが
当時、日蓮はまだ生まれていなかったんじゃないかなー?
生まれたぐらいか?
どっちにしても日蓮宗は存在しない。
それに、信仰の内容からして日蓮宗は真言密教からの派生なのだろうな。と感じる。

修行場等々を周り
次の目的地千早城址へ。

〜が、
先に下赤坂城址を発見。
今は美しい棚田の広がる場所であるが
鎌倉時代において、そこは激しい戦場だった。

今度は、手を合わせいた
正季(まさすえ)であるところのNさんの涙が止まらなくなっていた。

きっと、
下赤坂城は、正季の城だったのだろう。
正成は、「7」つの城を築いている。
今は

こんな使われ方をされていてワロた。
その後、
千早城址へ。
ものっすごい急な階段( ̄◇ ̄;)
む、無理だーーーーーー。
これ以上は上がれんっっ。って所から祈る。

この後やっと休憩に入るも
何か気になる看板と気配。
寄手塚・身方塚

正成が千早赤阪村での戦いで命を落とした、幕府側、天皇側の両方の兵士に向けた慰霊塔。

がっつりオルターのある山の中であった。。。

で、
正成の首塚を祀る観心寺へ。
お客さんからも情報が届いていた寺であったが、行ってみたら超立派でびっくり。
すぐ近くに楠妣庵という正成の正妻・久子の尼寺があったが

この土地は、もともと 久子の実家「南江家」のあった場所に近いそうだ。

南江家は皇室の血をひく家系らしく
正成が、南朝天皇とあれほどお近づきになれたり
紋章に菊水の16弁の菊を使えるのも
久子の血統がなせる事だと
楠妣庵の方が話してくれた。

正成の首塚を祀る観心寺は
北斗七星を祀る唯一の寺とかいうのが売りのようであったが
気を引いたのは「7」もそうですが
西国「25」番札所ってこと。 うまいこと仕上がっているわよね。

あぁ!
同行のNさんの車のナンバーが「2525」な事も、途中で分かり
2人で大笑いしたが
ヒントが分かりやすくって
逆に分かりにくい´д` ;

さ、 最後は寶國寺。
弟・正季と正季の子孫を祀るお墓のある寺だとされる。

民家の真っ只中にあって
随分と苦労したが
今日の、すべての行程が終了して
すがすがしかった。

信じるか信じないか?
そうねぇ・・・
信じざるを得んな(ー ー;)といった具合だろうか。

小旅が終わる頃
雨がすっかりあがっていた。


追記:
正行(まさつら)との櫻井の訣別(5月15日)から10日後の5月25日
正成は、正季と湊川で刺し違えて自害している。
正行であるところの後輩と
8年以上振りにお互いの空き時間を合わせてごはんを食べに行ったのが5月15日。

それ以降、
怒涛のようにあらゆる事が分かり
今日、兄弟揃って慰霊の小旅に出かけられた事に感謝する。

目には見えないが
「導き」と表現せざるを得ない。
北斗七星・毘沙門天の「7」と
「25」に導かれた今日。
この河内の地に
光が溢れる事を祈って・・・

追オモロー:
車を駐車場に戻す時に気づいた。
レンタル駐車場ナンバー




オーマイガーっっっΣ( ̄。 ̄ノ)ノ・・・

3年以上になるがぁ・・・
今日気がついた。
怖いわよね〜無意識って。。。
| ena | | 21:30 | comments(0) | - | -
そうかな?そうかな?
高野山金剛峰寺でお話してくれた尼さんが、お師匠さんとの問答で
答えを言うと、いつも「そうかな?そうかな?」と師匠はおっしゃる方でね〜
なんてエピソードを語ってくれた事があった。

物事の捉え方が1つではなく
その答えはどれも正解だし、どれも不正確で、いい悪いを決めている価値観は
何処からきているのか?また
確かなものなんて無いのではないか?
などなど、
たった「そうかな?」の一言で
あらゆる事に思いを馳せるように
こちら側に気付きを与えていく 素晴らしいお師匠さんやなぁ〜と
その時感じた。

私も
「そうかな?そうかな?」は大好きである。
自分自身にもこれをよく使って
物の見方トレーニングをしていた頃があった。

結局、
「こうだ。」と決めるのは自分自身ですし、それが誰に正解と言って貰えれば正解なのか?と言えば
やっぱり自分やしね。
他人の事にしても、よくあーーーだこーーーーだと、相手に聞きもしてないのに
自分の想像だけで話しを展開させたりするけど
まさに「そうかな?そうかな?」の世界であって
これが遊びである事に気付かなければ
自分の創り出した世界に押しつぶされてしまいますからねぇ・・・
いてはるでしょぉ〜?
そーゆーのでストレス満載の人。

ストレスの原因は外側じゃなくって
お前だっちゅうに。
と、
私も、そんな人と行き交う度に
「そうかな?」で、肩透かししてやりたくなるという
イジワルを搭載している。

よく、
子供に対して答えはコレよっっっ!!
って押し付ける親がいてるけど
こーゆー日々の積み重ねで子育てしておいて
「ウチの子供は、自分で工夫するとかしないのよっっっ!」とか言うてる。
いや、
だから、
原因お前やしなっっっっ。

とか思う。


客観視ってオモロイよ。

皆さまも「そうかな?そうかな?」教に入ってみてはいかが(笑)?
| ena | 思考 | 00:15 | comments(0) | - | -
仲間
ヒプノセラピーを受けた時
「なぜ大阪を選んだのですか?」と催眠状態で聞かれた時
即答で「友達多いからっっっっ!」と
応えたのを覚えているが
その友達は、プレアデスの時の友達と言う意味で応えていて
今、感じるのは
プレアデスの時の友達が、楠木時代でもご一緒で、また今生も一緒に旅をしていると。

思うが、
よく「縁」と言うが
「縁」ってやつは
計り知れないほどの年月をかけたり超えたりしてきたあげく
謀り(はかり)事の上で結ばれているのだねぇ・・・と。

今、
ここで出会っている縁は
とんでもない縁の元に出会っているのだなぁ・・・と。

縁て、やっぱり円(丸)よね。

あれから、さらに楠木時代を探っていきますと
17人ばかし、湊川において亡くなっていて、突撃した人も2、3人いたけど
ほとんどが、正成と共に自害の道を選んでいる。
なんちゅう熱い人々なのじゃっっっっ
( ̄◇ ̄;)!!
で、
この内2人、どちら様なのか分かった。
たぶん、
こういった死に方を選択した場合
「この世に何か残そう!」とは思っていなくって、「潔く死ぬっっっ!」と
決めて死んでいるので
4次元にとどまる事なく
光の5次元にササッと還っているような気がしている。

(後醍醐天皇は未練タラタラだったように思うのだが)

また、
仏教系の人々は
輪廻があるのが普通だっただろうから、今回アカンかったから次っっ!ってな感じで
執着なく今を捨てられたんじゃないかしらー???とか思ったりする。

だって、
死ぬ事が悪い事じゃありませんからね〜
死が悪だったり、恐怖ってなったのは
輪廻はない!とした
教会が入ってきてからですから。
輪廻がないってなると、この1回に証しを残そうとしてみたり
死にたくない執着が現れてきますからねぇ・・・。

自殺も、特段悪いわけではなく
思いを遺して死ぬ事が問題なのであって
そーーーいった意味では
思いを残す死に方をした場合
どのタイプの死に方であっても
5次元には還れず
とどまってしまうのでしょうな。

話しが横道に逸れてしまいましたが
こーーーー言った観点から
この、共に亡くなった仲間達は
たぶん、全員転生しているんじゃないだろうか?と感じている。

もちろん、
南北朝時代のエネルギーが必要な
今、ここに。

だったら
全員が誰だったのか分かればオモロイな〜とか思っている。

今んとこ2人確定やと感じてるけど、心当たりがあと6人ほどあるので
結構いけんちゃう?とか思ってる。
だって、
オモロイやぁーーーーーん。
そんなん分かって話通じたら。

A:「ちょっと、あなた
あの首の斬り方は下手くそ過ぎたわよ。
サクッと一発でいかんと、一発で。」

B:「いやいやいやいや、めっちゃ切羽詰まっとったし。 あらあんなもんやで。」

とか。

もう時間とかアホらしくなってくる(笑)

あ。
こーしてる内に、あと2人思い当たるなぁ・・・
って事は
あと7人か。

里見八犬伝みたいや(笑!!) いけんちゃうん〜?????全員。

こんなもんテレビ見てるより
よっぽどオモロイで。
でも
今日のお客さんとも話しててんけど
こんな話し出来るんenaちゃんとこだけやぁ〜言うて。
この方なんて
クリスチャンやのに、輪廻はあるし
「宇宙が揺らいでいるだけですからね〜」なんて言うと
「ホンマやね〜」って
普通に返す人なのに
まだまだ世の中アウェイらしい。


仲間が全員見つけられた時 アウェイじゃなくなっている事を
楽しみにしておこう(^^)!


追記:
正季(まさすえ)であるところのお客さんに、果たしてどんなヒントがあるのだろうか?と探っていた。
いかんせん、
Web上の正季情報は薄く
その方との繋がりも、これは!!と思える強いものが見つからない。
嫁ぐ前も嫁ぎ先も日蓮宗ってのと
私のインスピレーションのみ。
しかし、
間違いなく、その人だと 私の感覚が言っている。
今朝、
ハッとして目が覚めた。
その方は、
子供の頃から7面大明神に縁ある日蓮宗のお寺に通っていて
事あるごとに、7面大明神の護りを受けている事や
ご縁を話してくれていた。
そう。
「7度生まれ変わってでも敵を打ちたい」
正季の「七生滅敵」である。


生まれ変わって、戦ではなく 祈りの道を選んだ証しに
7面大明神と縁を結んできたらしい。

25日、
兄弟揃っての慰霊の小旅が実現する。
| ena | 信じられ編  | 00:25 | comments(0) | - | -
「本丸」
結局のところ、 誰が誰であろうと
そんな事は、どーーーーでもいいのであって、輪廻を繰り返す中で
誰かは必ず誰かだったんだろうから。

面白いのは、ここに何があるのかを手繰る事なのだ。

南北朝時代が今に至って継続している事が分かるだろうか?
700年近く前の出来事が
現在進行形で展開している。


もちろん、
もっと遡れるなら遡ればいいと思う。
縄文でも、平安でも
いつの時代にも同じ闇と光の働きを見出す事が出来るだろうから。
どの時代の仕組みも
現在進行形である。
ある程、資料の残る南北朝時代が分かりやすいし
やはり、今この時に必要なのは
この時代のバイブレーションなのだと思われる。

だって、 南朝の後醍醐天皇に仕えた正成公の銅像が、なんで皇居にあるのよ?
今の皇室は北朝のはずだけど?

後醍醐天皇の血筋に日蓮上人がいるってことは・・・
わかるわよね? 例えで言うなら
ウチのおばあちゃんが正成の歌を唄うってどーーーーよ?
大正の終わりに生まれて、そんな歌を空で唄えるほど練習して
最後まで忠義を尽くした正成公を讃えて、愛国心や忠義心を養う教育がそこにあったと考えられるんじゃないのかしら?
そして、ポイントは日蓮なのよ。 その愛国心は何の為に使うのだろう?

森友学園が創り出そうとしていたのも、愛国心バリバリのエリート愛国人だわよね。
こうして いつの世も、シンボルを使って
また、洗脳や擦り込みによって作り上げる社会の構造がある。

今、この時に
わざわざその時代の御霊を持って生まれ出てくるには
やはり、それ相応の意味がある。
そのエネルギー(振動)が必要なのだ。
宇宙が刻々と揺らいでいくために。

が、
せっかくこの世に生きているのだから
この揺らぎを言葉に変えて
物語としてロマンを楽しんでみればいいのだと思う。

きっと
人間だけが体験できる極上の遊びなのではないだろうか?

真実は、外側にはない。
すべては、内側の自分を通して繋がっている。
って事は
この物語は、
誰にとっても繋がりがあって
出演者って事にならないだろうか?

やはり、この世は面白い。


追記:
正成公であるところの私の息子、正行(まさつら)は
以前勤めていた先の後輩だったとわかった。
おい、堕天使になってる場合じゃないのよっっっ!がんばりなさい。
正行は、22歳で四条畷にて自害しているが、私がお店を退職する格好で
彼女と離れたのも
彼女が22歳の時だった。
そして、正行が亡くなったのが2月4日
彼女の誕生日が4月2日とクロスしている。
なんとなんと・・・
こんど弟であるところのお客さんと話したら、きっとまた色々出てくるのだろうなΣ( ̄。 ̄ノ)ノとか思う。

やはり信じるか信じないかは
あなた次第なのだ。
| ena | 信じられ編  | 00:00 | comments(0) | - | -
・・・だとしたら。
きのうの前世の話しがそうだとしたら
楠木正成であった所の自分を
統合する時、いったい何をすればいいのだろう???と考えてみた。
「出生地かぁ〜?
いや、首塚のある所かぁ〜?
何処に行けば・・・あ。戦いをあちこちでしてきたんだったわよねぇ・・・。
じゃーー戦地に行けばいいのか。」

「で?」
と、楠木正成だったら
戦地に行って何をするだろうか?と思いを馳せた時、
家来や農民、自分が先頭切って起こしてきた戦によって 命を落とした人々への
謝罪だなと思った。
昭和天皇が太平洋戦争後に、各地を慰霊してまわったのと同じように。


「すまなかった」と頭をさげる事と
「光に還るよう祈る」
これに尽きるのだな。。。と思った時
泣けてきたので
これが正解なのだと思う。
本人は光に還ったものの
その戦において、未だ還れていない存在の御霊があるなら
なんてこったパンナコッタである。
5月25日。
楠木正成と弟正季が自害した日
私の手帳は偶然にも休みになっている。
とてもとてもとっても不思議。

そうそう。弟正季も、やっぱり近くにいた。
今この時
楠木家に纏わる御霊持ちの人々が
大阪に集っている事にも
きっと意味がある。
南北朝時代は、平成29年の今現在を闇にしているキーなのだろう。

嘘か誠か、信じるか信じないかは貴方次第とはいえ

日本の重要な歴史である事に違いない。
歴史の好き嫌いを越えて、どうか知って欲しい。
そんな歴史の上に、私たちが生かされているのだと言う事を。
25日兄弟揃って慰霊の小旅に出られる事を祈って・・・


追記:
やはり、3、4年ほど前からだろうか?
後醍醐天皇と日蓮上人(日蓮宗)は
空海同様、よく周りに集まってくるキーワードだった。
そもそも、櫻井の訣別を唄っていたおばあちゃんは
日蓮宗やったし 去年は久遠寺にも隠岐の島にも訪れている。
南朝大覚寺派直系の子孫(僧侶)の方と会わせていただいたのも、去年の今頃だったっけ・・・

弟正季の御霊持ちも長いお付き合いのお客様だった。そう、明合古墳をご一緒した方である。彼女は実家も嫁ぎ先も日蓮宗。
これでもかっっっっ?!ってぐらい
分かりやすいヒントだったと
今だから言えるが
灯台下暗しとかって上手い表現だわよね。

以前、光の講座で
「自分の周りにヒントを散りばめて生まれてきてますから〜 それを手繰って、自分が何やってきたか思い出して下さいねーーーー」と教えられ
「なんてザックリしたアドバイスなんじゃΣ( ̄。 ̄ノ)ノ」と思った事があったが
おっしゃっる通り、
確かに散りばめ過ぎるほど散りばめられているし
また巧妙で、とにかくユーモラスでワラえる。

やはり、この世はユニークで
ロマンに満ちている。

あぁイトオカシ。。。かな
| ena | 信じられ編  | 00:25 | comments(0) | - | -
前世・・・ねぇ。
はてぇ・・・3年ほど前からだったろうか?
やけに楠木正成が現れ始めたのは。
白山神社で・・・
大阪でも神戸でも、時にドキュメンタリー映像でも、縁ある場所にてやっぱり正成公に出会う。


ま〜
そんなに現れるならっつう事で
楠木正成って何やった人なわけ?と
一応、サクっと調べて知ってはいた。
あ、
そうそう。
「ぶらenami」で、榎並城跡へ訪れた時にも、猿楽発祥の地となっておったわけですが
猿楽と言えば、能楽の祖。
能楽の祖と言えば観阿弥、世阿弥親子。
観阿弥の嫁は正成の妹っといった繋がりがある。

楠木家は伊賀の服部家との繋がりもあるとされているので
芸能の世界を使って、情報収集する事に特化していたと思われる。


あ、
少し話しがそれてしまったが
今、友人達と月1で行くオーガニックマーケットが開催されている島本町にも
正成所縁の地があった事が先だって分かって、この間のイベントの帰りに立ち寄ってきたばかりなわけですが
JR島本駅は、旧桜井駅と言いまして
正成と息子の正行(まさつら)との
「父子の別れ」の舞台だそうで
慰霊碑のようなものが沢山立ち並んでいた。
神戸湊川での戦いを前に
父が死んでも、後醍醐天皇に尽くせと息子に遺言したとか。

しかし、
何故にここまで正成かねぇ・・・と気にかかり ま〜出来るかどうかわからんが
ちょっと感じてみようかねぇ・・・とTryした所、はたと寝起きで分かったのは
「あ。うちのオカン正成の妹やったわ」だった。

ほな、私は何者?
そこにどー絡むねん?

わからんわぁ・・・と思案すること2日。
はい、例の霊の例の、体を看てもらっている
先生に聞いてみましたぁ〜。

まずはオカン。
先生:「ええ、ええ。そうですよ。はい。
よく分かりましたね〜。
感じた通りです。」


私:「先生ほな私てどう関わってますぅ?」
先生:「そりゃもう〜関わってますよぉ。
ご本人だから。」
私:「・・・あぁあぁ〜
なるほどねぇ・・・
なんだか薄っすらそー思ってましたぁ。
とは言え、まったく記憶がないんでねー。」

とかなんとかのやり取り暫し・・・

みょ〜に納得もすれば
まったくの他人事のようでもあり
不思議〜な感じ。

しかも、
先生ん所からの帰りに湊川神社行こうと思ってたし。
っていうか、
最近教えてもらって靴でお世話になっているcafeのすぐ側やし。

へぇ〜〜〜Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

先生曰く、
輪廻するには
5次元に還ってないとできない。って事なので(そりゃそーだ)
そーいった意味では
楠木正成公は、ちゃんと光に還っていたわけですわな。

で、湊川神社?
行ってきましたよ。



ね。

何にも感じませんな。
クリアーな感じ。
ただ、
弟の正季(まさすえ)と互いに刺し違えて自害した場所で咳混んだが
その時、
甲状腺の手術痕が、その時の傷だとは分かった。
正季との最期の会話は
「生まれ変わったら何をしたい?」だった。
(西洋暦5月25日:最近2も5も縁あるはずだわ) 7回生まれ変わってでも敵を討ちたいと言う正季に
生まれ変わって人殺しをしたいなどと言う奴がおるか・・・とたしなめながらも
「しかし、確かに。」と正成が応えているが、
生まれ変わってみれば
やはり、人殺しや戦はもうやるべきではないと言う印として
この傷を今生も残したと感じる。(しかも自害の年齢が今の私の年齢やて。)



そこからさらに感じてみたら
当時の息子が誰だったかも分かった。
きっと、弟もその内分かると思われる。

信じるか信じないかはあなた次第〜な
まさにカテゴリー通り、「信じられ編」であり、変である(笑)

ー余談ー
神戸では、正成は楠公(なんこう)さんという愛称で親しまれている。
ワタクシの実家は南港(なんこう)なのよ。
ウケるぅ〜

帰宅してから
父に湊川神社に行って〜なんて宮司から聞いた正成の話しをしていたら
「お前のおばあちゃんがしょっちゅう楠木正成の歌、唄とったわぁ〜
蒼葉のなんちゃら〜言うて、桜井での父子の別れの歌や。」やって(笑)

ふぅうぅ〜ん。
オモシロイね〜この世は。
ユーモラスでユニークで。
そしてミステリアスで。

今回の事で益々分からなくなったが
「湊川神社に正成さんが居て〜」なんつうスピリチュアル?って言われる世界の人々が話したりしてるやん?
あれって何なん?
いや、
否定はしませんよ。
その方には見えているのだろうし、感じているのでしょうから。
しかし、
本人生まれ変わってるとして
そこに残す思いなく光に還ったのであれば、現代そこに居るっつう正成は
誰なのよっっっっ。
っていうか
正成に想いを寄せる人々の念や
願いによって創り出された何かなわけ???

それとも、
分離された何かなのっっっっ?!?!

よーーーー分からんわぁ。
さっぱり分からん。


って事で
ワタクシのオタク探究も
まだまだ続きそうである。(笑)

〜櫻井の訣別〜
一、蒼葉茂れる桜井の
里のわたりの夕まぐれ
木の下陰に駒とめて
世の行く末をつくづくと
忍ぶ鎧の袖の上に
散るは涙かはた露か

二、正成涙を打ち払い
我が子正行呼び寄せて
父は兵庫に赴かん
彼方の浦にて討死せん
汝はここ迄来つれども
とくとく帰れ故郷へ

三、父上いかに宣うも
見捨てまつりて我ひとり
いかで帰らん帰られん
この正行は年こそは
未だ若けれ諸共に
御共仕えん死出の旅
| ena | 信じられ編  | 15:55 | comments(0) | - | -